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庭について庭で考えたこと

2004

その1            「虫と薔薇の日々」           春

 「酒と薔薇の日々」という言葉がある。うーむ、そう聞くだけで、なにやら退廃とアンニュイ、白粉とア

コールの匂いが漂ってくるではないか。無論、恋もあるだろう。たとえば、小説家サガンの描くそれのよ

に。
 

が、それにひきかえ我家の庭と来たら!退廃いわんやアンニュイのかけらもなく、たとえ100年経っても

恋は生まれそうにもない。だいたい、飲酒などしようものなら、っという間に雑草の園と化す事間違いな

し!というすこぶるつきのハードボイルド&イルドガーデンなのである。

名付けて「虫と薔薇の日々」、これが我が家の庭の現実なのであ〜る。
 
 

今年は、暑さのせいもあり、いつもの年より格段に虫の姿が多い。もちろん愛すべき隣人である虫の皆さん

を、抹殺しようとは思わないが(いえ、正直に言うとチラッと脳裏を掠めはしたが(・・;)。)

バラの蕾を召し上がるのだけは、やめていただきたい(ドン!とテーブルを叩く)。そう、そこのカミキ

虫くん、君のおかげでアルベルティーンがどういう花なのか、今年も知ることなくシーズンが終わろうとし

ているのだよ、ブツブツ…などと呟きながら、今日も、明日も、あさっても、私は、一日の大半を庭で過ご

してしまうのである。

だいたいなんで5月は30日しかないのだろう?せめて、100日くらいは欲しいものである。と、かのカ

レル・チャペック氏も似たような事をおっしゃっていたような…。

そんな或る日のこと、最大級の悲劇が起こった。舞台は家の庭、犯人はゾウム
シだのカミキリムシだの、所

謂ノーミソの少なそうな連中である。そして被害者は…可な少女もといバラなのであった。ああ、これを

悲劇と言わずしてなんと言おうか。

0個近くあった蕾が一夜のうちに消滅し、花びらには茶色いシミがついているではなか。そうー確かに

シャルル・ド・ミユは咲いた。ただし片側半分だけで・・・。

人は言う。「自然に恵まれた素晴らしい環境ね」と。否定はしない。確かにそうだから。が、自然に恵まれ

た素晴らしい環境だけに、鳥や虫もすんばらしく多く、彼等を養ための植物もまた豊富に存在する。つま

り、植物は、美しい彩りであると共に彼等の養源でもあるのだ。

そして、たいへん遺憾ながら、薔薇もまたその例外ではありえなのである。

であるがゆえに、ノーキョーの棚にズラリと並んだ農薬のボトルには、かなり心惹かれるものがある。しか

しながら、食物連鎖による環境への影響等を考えると、農薬を散布るのは、やはりはばかられ・・・。

なぜならば、私に限らず「沈黙の春」を歓迎するがーデナは少ないだろうからね。と、ここで悲しい結論

至る。つまり、もはやバラは、私のラではなく私や虫達のバラと考えるべきなのだ、と。

う〜む。腕組みをして「私、植える、諸君、食べる、これ、いけないあるね!」となぜか謎の中国人のよ

うにしゃべりたなってしまう私なのであるよ。



では、「自然に恵まれた素晴らしい環境」の中で、なぜバラを育てるのだろうか?答え
は単純だ。「見たい

から」である。私は見たい、マルメゾン宮殿で咲いたバラや、レシュ女史がイラクから持ち帰ったバラを。

私は知りたい、ダマスクとティーローズの香りを。私は作りたい、花びらのジャムやバラの実のリースを。

そうすることによって、私は、自分の庭に居ながらにして世界とつながるのだから。そして、ごく稀にでは

あるが、時空を超え500年前へとワープする事さえもあるのだから。

前置きが長くなった。では、ようこそ、私の庭へ。

                         

その2、            「 窓辺のマダム達 」          春

  入り口を入るとまず目に入るのがここ。今年は、窓周りにウインドウボックスとトレリスを作った。雨

戸の戸袋がヒジョーに目障りなのだが、いかんせん、築35年のあばら家である。うーむ、やむを得まい、

目をつぶろう。

植えてあるのは、マダムなんちゃらかんちゃらの類いがごちゃごちゃと。本来ならば、ここは、あと2〜3

年でバラに覆われるはずの空間であった。だが、冬が終わった時、昨年植えたバラの幾つかは、わずかに

根っこを残すのみという惨澹たる状況であった。

冷たい氷の女王の洗礼によって、2メートルにも伸びていた枝が、再び葉をつけ花を咲かせるという夢が、

叶えられる事はついになかったのである。

厳冬期、マイナス20度にもなる原村の冬は、バラの枝をも枯らしてしまうのだという事を、私とマダム達

は、身をもって学んだのである。

それゆえ、今年は防寒対策をしっかりせねばならない。マダム達は寒がりで、コートをお召しになりたいと

おっしゃっているのだから。しかも、マダム達は質素であらせられるので、ミンクでなくともよい、麻の

コートでいいとおっしゃっているのだ。

おお!なんというありがたいお言葉だろう!それゆえ、今年は何が何でもコートを用意せねばならないので

ある。さもなくば、バラは伸びず、この景色がバラで覆われる事もない。それが、現時点でハッキリしてい

る冷酷かつシンプルな事実なのである。

とはいえ、全てのマダム達がコートを入用とされている訳ではない。マダム・プランティエール様は、その

優雅なお名前の響きとは異なり、存外寒さにはお強くてらっしゃるようだ。マダム・ルグラ・ド・サンジェ

ルマン様もまた然り。

やはり、こういう寒冷地向きのマダム達にお越しいただくというのも一つの方法なのだなと感じ入った次

第。寒さに強いと言えば、やっぱ原種でしょう!と、近くのペンション街に咲き乱れていたハマナシを思い

浮かべ、早速注文した。もちろん、4月のネットショップで、売れ残りのそれをである。

関西人の血が騒いだせいもあるが、この寒冷地で秋に苗を植え付けるのは、かなりの冒険でもあるからだ。

秋に植え付けて枯らしてしまった苗の数々を思うと、私は、いたたまれない気持ちになり、地団駄を踏みた

くなり、それからひどく落ち込む。

そのくらい原村の冬は厳しいのだ。それゆえ、私は、これから暖かくなっていく季節にしか、苗は植えない

事にしている。これもまた、庭から学んだ教訓の一つかもしれない。            

その3              「傘のある風景」           梅雨

 一見して、てまず目につくのは傘。雨に弱いバラ「粉粧楼」様のためにシーズン中、毎日さしかけられて

いる。傘をさしかけているのは元テーブルの足。引退して尚その存在が重要であるという見本のような人物

(?)。

その横にはグラミス・キャッスルやアブラハム・ダービーだのが色々並んでいるのだが、わかりませんよ

ね?

花壇の中心にスタンダードのバラ、アイスバーグがあるのだが、冬の寒さでやられ、か
ろうじて生き残って

いた枝から、か細い新芽がのびているという状態。つまり、去年と変わらない大きさ、いやむしろ小さいか

も(泣)。う〜む、はたして「しだれる」いう状況が今後おこる可能性はありや否や?大いに疑問である。

向かって左側手前はいちご畑。(もっと左にはトマトやきゅうりなどが植わっているが、いささか見苦しい

ため、写真には入れず。)

その向こう側は湿地植物の場所。トラの尾とかアストランチア・マクラタ・ロゼア(これって湿地植物なの

かな?)、たいつり草などが植えられている。

アイスバーグの足元にはタイムとまつ虫草、右側は宿根草の花壇。今年は鉢底をブチ抜き、そこへバラ(ア

ンヌ・マリー・ド・モントラベル)をポイントに植えてみた。それにしても、なかなか全てのバラの写真は

撮れないものである。全てのバラを撮り終わるのは、一体いつなんだろうか?

実を言うと、この庭の一番の見どころは花ではない。なんと!土が見えている事!なのだ。当然、雑草も

茂っているのだが、そうは言っても「土が見えている」=「草取りをしている」ということになるわけで、

特に半径500メートル以内の住人には誉められまする。エッヘン!

つまるところ、まあ、そのくらい「素晴らしい自然の中」に住むガーデナー達は、雑草のすさまじい繁殖力

に苦労させられているのであーる。私は、遺伝子操作には反対の立場を取っているが、雑草のように強くた

くましく、しかも美しいバラがあったら…。う〜ん、もしかしたら、買ってしまうかもしれない…。

      

        庭に咲く傘とその下においであそばす「粉粧楼」様

          (でも、どっからどー見ても傘しか見えないっす(・・;))

その4        「ボンビーゲージツカ的ローズアーチ」    初夏

 ジャジャーン!!これが、我が家のアーチ。980円×2=1960円という破格のお値段が売り物の。

なぜか?お安いアーチを2つ繋げただけの代物だからである。ボンビーなゲージツカ(?)を侮ってはいけ

なーい!!

お金をかけず、しかも大きくて美しいアーチが欲しい!という欲望が、ゲージツカの脳内をはげしく駆け

巡った結果、長らく休眠中だったシナプスが、おもむろに目を覚まし手をつないだのであーる。その結果、

素晴らしいアイデア「パイプの連結」を夏の夜空に煌めく一等星のごとくひらめかせたのだ〜〜!

ついでに、アーチの先端はゴシック風に仕上げてみたりして。なあに、連結の方向を変えればいいだけの事

なのさ。とはいえ、このアーチ、問題が一つだけある。パイプの中が空洞になっているため、弱いのだ、と

ても(泣)。(次回は1980円のアーチを連結しようかとも考えているのだが。)

その虚弱体質を補うため、ノーキョーでグリーンのポールを購入し、支えにしている。ポールは5本で

980円だから、合計2940円で出来た事になる。根が関西人の私としては、かなり満足のいく結果とあ

いなった。

ちょうど、花の咲いている頃にタイミング良く写すことが出来ず、花無しのアーチとなった。アーチに向

かって左側にソンブレイユとラ・レーヌ・ビクトリア、右側にスーベニール・ド・ラ・マルメゾンが植わっ

ている。

近所のJ○ートでは、29800円(!)な〜んていうお値段のアーチを涼しい顔で売
っているが、あれは

変だ!おかしい!と私は思う。うなるほどの金銀財宝でもあるのなら話は別だが、ごく普通のガーデナーに

とって、ポンと出せる金額とは言えないのではなかろうか。

少なくともボンビーなゲージツカには、手も足も出ない価格設定である。更に言うならば、サイズにも不満

がある。多くのつるバラは数mも伸びるのだ。とても間口120cm高さ180cmに治まるような淑やか

さは無い、というような意味合いの事をかの村田晴夫大先生(演歌歌手ではなく村田バラ園の方ね)が書い

ておられたぞ。

それに、どのみち花でおおわれてしまえば、アーチそのものは目立たない訳で、であるならば、ごくシンプ

ルに丸太を組んだだけのものでもいいのではないか?と思ったりもしている。

ちなみに、このアーチ、台風の時にはゆぁーんゆょーんと揺れる。名付けて「ボンビーゲージツカ的耐風構

造仕様アーチ」ま、柔軟性が取り柄ってことで。

我が家は、入り口を入って左側にトレリスのある窓を見ながら、アーチの下をくぐり主庭
へ抜けるという構

造になっているため、アーチは嫌でも目に入る。だから、バージョン2を「作らせてー!」と鉄をやってい

る友達のダンナに頼んであるのだが、う〜む、一体いつ出来るのだろうか…。

      

                   ゆぁ〜ん♪ゆょ〜ん♪と揺れる

               ボンビーゲージツカ的耐風仕様ローズアーチ 

              (間口2m 高さ3m)

その5           「何処でもない場所」           夏

  

  あなたは、ふっと、どこかで見た事のあるような気がする風景に出会ったことはないだ

ろうか?。その「どこか」が、夢の中なのか映画の中なのか、それとも忘れてしまった現実の風景なのか、

どうしてもあなたには思い出せない。

にもかかわらず、かつて自分がその風景の一角に存在していたような気がして仕方がないのだ。それを、心

理学者は、デ・ジャ・ブーと呼び、新興宗教のグルーは過去生の断片などと名付けるのだろう。

そして、へっぽこガーデナーは、庭の一角にそれを再現しようと試みる。

ここに、古びた木の椅子が2脚ならんでいる。その後ろ側に咲いているのは、原種のベルガモットだ。10

年近く前に、ハーブガーデンでアルバイトをしていた友人に貰い受けた数株が根を下ろし、思いがけず庭の

一角に繁茂した。彼女のお陰で、いつからか、我が家の夏は、赤い松明をかかげてやって来るようになった

のだった。

おっと、話がそれた。つまり、手付かずの自然ではなく、かといって作りこんだ庭でもない、曖昧な場所。

こかに人の気配が感じられるのだが、その姿は見えない。何処かわからない何処でもない場所。フッと力

が抜けるような景色、そういう曖昧さに私は、惹かれる。

後方に見えているのはツリーハウスの土台。作りに来ていた棟梁が忙しくなったらしく、ちいとも来やしな

い。早く来ないとパーゴラにしちゃうぞー!と遠ぼえする私なのであった。ちなみに棟梁はイギリスへ行っ

た。「帰ったら来ますから。」と言い残して…。

その後ろ姿に向かってそっと呟いた。「私の生きているうちにね。」と。

実際、この椅子に座って、ぼんやり庭を眺める事などほとんど無いのだけれど…。

                      曖昧な場所

            

その6           「木を植える」         秋                   
  バラを植えるのも好きだが、木を植えるのもかなり好きだ。木を植えるという作業には
、どこかしらミ

スティックな気分が伴うような気がするのは、私だけだろうか?それは、遠い未来と密約を交わすような、

或いは一瞬にして時間軸を飛び超してしまうような、なんとも形容しがたい気分を私にもたらす。

否、むしろ、その不可思議な感覚を味わわんがために、私はツルハシ(これがまたすこぶる重い!ああ、こ

いつのおかげで、私は何回ギックリ腰になった事か!)をふるい、何とかの一つ覚えのように木を植えるの

である。

約15年前、この家に移り住んだ頃、私は一本の木を植えた。それは、膝丈ほどもなうわみず桜(う〜

む、なぜだ?バラ科じゃん)の幼木だったのだが、今では家の屋根も超す勢いで、いまだに枝を広げ成長

し続けている。名付けてノッポ・うわみず桜女史。ごく当たり前の話だが、女史は、春には白い花をつけ、

その後、決まって小さな赤い実を実らせて夏を迎える。

ノッポ女史と並行するように、私も子供を持ち不器用に育んでもいる。が、なぜだろう?なぜか女史にはか

なわないという気がしてならないのだ。彼女は、のびやかに枝を伸ばし、たわわに実をつける。その実は、

いったい何羽の鳥を養っているのだろうか?いったい幾つの恋がその枝で囁かれたことだろうか?それに、

彼女に感謝している毛虫の数ときたら!それでいて、それを自慢する風でもなく、ただ静かに立っている彼

女。

幼木の頃アケビに巻き付かれたために、ほんの少し傾いでいるその姿は、極めて自然に頭を垂れさせるよう

な存在感を持っているのである。その存在感こそが、他の作業からは得にくいサムシングなのではないだろ

うか?それが何なのか、何と名付ければいいのかを、私はもう少しじっくりと考えてみたいと思っている。

さて、今日のこと、私は、一本の木を植えた。それは、サトウカエデという名前で、大きくなればメープル

シロップを採ることが出来る木だ。おそらく、その収穫の時、私はここにいないだろう。私がここにいた事

さえも忘れ去られているだろう。だが、カエデの木は残っているかもしれない。(こういう時、なぜか整地

されてマンションが建っているという図は、思い浮かばないものだ。)

「ねえ、誰が植えたんだろうね?」と言いながら、誰かがメープルシロップを採っているかもしれない。そ

して、その誰かは私の子孫であるかもしれないし、そうでないかもしれない。或いはまた、風が木の葉の揺

れる様を見ているだけかもしれない。

私は、そのどちらでも構わない。ただ、その一瞬を想像する、大きく手を広げて立つサトウカエデの巨

を。たぶんその瞬間、私の顔にはきっと微笑が浮かんでいるに違いない。とびっきりの微笑が。

という訳で、木を植える事によって(私の顔は、既にエクボと皺が一体化しつつあるのだが)そこへ更にも

う一本皺が追加されることになるのであった。ああ…。

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