What's New? HOME サイトマップ ネットショップ 屋根裏部屋(文章) レジン・クラフト

体験教室のご案内

ボタニカル・クラフト THE猫雑貨カタログ レジン実験室2006 レジン実験室2007 猫ボックルワールド ギャラリー(猫以外)
ボタニカル・クラフト・ギャラリー 管理人室 リンク集 伝言板 メール 村民生活
庭について庭で考えたこと

2005

         
その7 「春のはじまり」

 或る日、池に蛙がやってきて合唱をはじめる。やって来るのは、ヤマアカガエルという種類で、彼等は他の蛙とは異なり、コロコロと鳴く優しく柔らかな声を持っている。そして、その日からミッドナイト・ラブバラード・コンサートが夜毎開催されるのである。それが、決まって毎年繰り返される、我が家における春のはじまりなのだ。

それからしばらくは、ヤマアカ蛙のコロコロと鳴く声が夜通し聞こえている。その声を合図に、決まって風は暖かくなり、人も犬も猫も無性に庭へ出たくなる。老犬VERY GOODは庭でひなたぼっこを決め込み、猫は、せっかくの合唱団員を追い掛け回す。あらあら。

人はーというと、仕舞い込んであったホースを、物置きからズルズル引っ張って来て、水道の栓を確認し、ひねる。そして、ほぼ四ヶ月ぶりに水やりをしながら、庭の住民達と会話をはじめるのである。

以下、カレル・チャペック風対話。
律儀な球根植物達よ、お前たちがいるおかげで、私の庭にも春が来たとわかるのだ。ありがとう。お礼を言っておこうね。アンジェリケよ、やれやれお前は、そんなところで春を待っていたのかい?そうそう、お前にはまだ言ってなかったね、そこは去年から通路になったんだよ。今度、花壇の中へ引っ越そうね。

クリスマス・ローズが、春楡の木の下で、ひっそりと身をかがめ、折り紙細工の花を咲かせている。その横で芽を出しているのはメコノプシスよ、お前だね。美しい花とは似ても似つかない熊の手みたいな芽には、いつもびっくりさせられるけど、よーく見れば、まあ、かわいいような気がしないでもない。

ところで辛夷よ、お前はもうそのビロードのコートを脱ごうとしているのかい?本当に大丈夫かい?寒くないのかな?木って風邪をひいたりしないのかな?


などと言っているうちに、バラの新芽がそっと顔をのぞかせていて、クレマチスは枯れ枝に白緑の光を灯そうとしている。私の春は、いつもこんな風に始まる。

それから、庭で長い間逆さまに伏せてあった大きい鍋をひっくり返し、糸を染めはじめる。最初の犠牲者は何と言っても、庭の厄介物タンポポだ〜〜〜!(クローバーの時もある)。大鍋の中でグツグツ煮込み、取っても取っても取り切れない日頃の鬱憤を晴らす。

そういうまことによろしくない感情をもってしても、春一番のたんぽぽは、限り無く優しい色に染まるのだから、立派なものだと感心しつつ(笑)。私が糸を染めるのは、ターシャ・チューダーが絵を描くのと同じ理由による。従って、哀れなたんぽぽを犠牲にして得た報酬を手に、私はお気に入りのナーサリー(一つではない)へ走る。よんどころない用事によりナーサリーへ走れない場合は、ネットでひたすらブラウズする。

そうこうしているうちに5月になる。と、今度は、土だの肥料だの石灰だのを求めてうろつきまわる。コンテナに寄せ植えもしたいし、野菜の苗も購入しなければならない。庭のハウスで自然に熟れるトマトを、私はかなり愛しているからだ。バジルやイタリアンパセリの種まきもしておかねばならないし、剪定したバラの挿し木もせねばならぬ。それに、ナーセリーから連れ帰ったバラの苗も植えてやらなければならない。こうして、毎日が疾風のように飛び去っていく。

その一方で、人形も少しづつ原形を作っている。小さなサイズにしてしまったために、芥子粒レベルの精密な作業が続く。目が痛くなると庭に出ていく。草取りに飽きるとまたアトリエに戻る。こんな風に、五月の庭とアトリエの間を往復する事で、一日が暮れていくのである。どちらか片一方だけではいけない。両方必要なのだ。その他に欲しいものは無い。だから、春は、忙しくて魅惑的で、そして満ち足りている季節なのである。
              

その8               「池のほとり」

 雑誌BISEに「自然は水際立っている」という記事が連載されていて、毎号興味深く目を通しているのだが、それと似たようなことが、我が家でも起こりつつあるので、記しておこうと思う。

我が家には小さな池があり(正確には「池、はじめにありき」であって、我々はずっと後から登場した、いわば新参者であるのだが)、その池に毎年ヤマアカガエル合唱団が訪れるのは「春の始まり」で述べた通りである。

が、6月の或る日のこと「あ〜!来年の合唱団が〜!」とコドモがめずらしく叫び声をあげた。ふと目をやると、池の水は殆ど干上がっており、わずかに残った泥水の中でおたまじゃくしが、ひしめきあいかつ動めいているではあ〜りませんか(アーモンドチョコの溶けかかったのが大量に動いているところを御想像あれ)。

おお、それは大変!とばかりに、こちらも大慌てで給水作業を開始したのだが、梅雨が訪れるまでの間に、今年は数回の給水作業を行なわなければならなかった。私が、池のほとりに住まいするようになってから、もう15年になるが、こういう事態が起こるようになったのは、ここ2〜3年のことである。

おととしは2回で、去年は3回、今年は数回、と年々増えてくるその回数が意味するものは、一体何なのだろう。考えはじめると、温暖化にはじまり、ついには地球滅亡までいってしまいそうなので、思考を停止する。

おそらく、500メートルほど上に新しく家が建ったために、地表からそう深くないであろう水みちが分断されたのではないか?とソーゾーしているのだが。ともあれ、雪どけ水が引いて梅雨が訪れるまでの間は、池の水量を注意深く見守らなければならなくなったのである。

我が家には犬が一匹、猫2匹、うさぎ一羽がいるのだが、更にそこへおたまじゃくしへの給水活動が加わったという次第。

梅雨入りのニュースを聞いて胸をなでおろした人は多いだろうが、私とコドモもその一人であった。「ママ、これで来年の合唱団は安心だね。」とコドモが言う。「そうねー。」と曖昧な返事をしがら、私はひそかにこう思っている。「君たち、来年はよそのお池へいきなさいね。合唱団、否、一族の存亡の危機なのだから」とー。そんな人間の心配を知ってか知らでか、おたまじゃくし君たちは今日も気持ちよさそーうに泳いでいるのであ〜る。

              

               

その9           「ギャング達の季節」     

 

  雨音と共に6月がやってきた。バラの咲く一番美しい季節が。だが、それは、つまり奴らがやって来ると

いう事でもあるのだ。羽のある黒づくめのギャング共が、私の庭にー。

朝、ムックと起き上がった私は、手早く着替えを済ませると、片手に○ンチョール、片手に軍手といういでた

ちで庭の警邏に出かける。

なぜなら、彼等は、待ちわびていたルイーズ・オディエの蕾を根元からチョン切り、瑞々しいコンスタンス・

スプライの新芽を枯らしてしまうからである。樹液を吸い、あげくの果てには、花の上で宴会まで開く有り様

だ。彼等の名を総称して「虫」という。

だから、6月の私は、自ら自警団を組織し(といっても私一人しかいないんですけど…)、犯人逮捕に余念が

ない。なんと言っても、現行犯逮捕が原則であり基本である、と月曜日にやっているドラマの中で言っていた

事でもあるし(・・;)。

デーハーなラメラメの服を着込んだ黄金虫組の奴らは、オノリーヌ・ド・ブラバンの上で花見ならぬ花食をし

ているし、バラ象虫にいたってはその存在を許すことの出来ない戯け者である、と私は断言してははばからな

い。

というように、なんだか性格まで変わってきちゃったりもして…。とりわけ、もうすぐ花が咲くという頃にな

ると、私の目つきはヒジョーに悪くなり、決っして庭の警邏を怠ることのない勤勉な自警団員と化す。庭を一

巡した後、黄金虫組の連中の極悪非道を語る私に、コドモはこう言ったものである。

「だけど、ママ、昔は、黄金虫ってきれいねーって言ってたよー。」そう、バラを育てる前はね。コドモよ、

人間の価値観なんてたやすく変わるものなのだ。オカーサンは身を持ってそれを証ししているのだ、ちゃ〜ん

と覚えておきなさいね。

いずれにせよ、6月は、自分がそんなにいい人じゃないって事がよ〜くわかる月でもある。私は、出来るなら

ば農薬を使いたくないのだが、梅雨の前に一度、真ん中で一度、いわゆる消毒(なんと耳当たりのいい言葉だ

ろう!)をする。バラの数より虫の数のほうがはるかに多いこの地では、完全無農薬栽培は不可能とは言わな

までも、ヒジョーに困難な事業だと認めざるを得ない。

他に手は無いのだろうか?ただ、ギャング共の暗躍を傍観し諦める以外に…。対抗手段は、ただ一つ。ひたす

ら株を大きくする事である。10のうち10を失うより100のうち10を失う方がはるかに心理的ダメージ

が少ないのだから。

そのためには、やはり「土作り」という基本中の基本に立ち戻る必要があろうかと思う。「今年は牛糞を入れ

よう…。」マダム・アルディーの咲かずに終わった株を見下ろしながら、そう固く決意する自警団員その1な

のであった。

 

その10           「私の国、私の家と庭」

 

 この6月ほどクレイジーだった月は無い。団体展に出品すると決めたのはいいが、人形を最初から最後まで

通しで作るのは、とにかくはじめての試みだったからである。時間配分もしてはみたが、実際に手を動かしは

じめると、作業は滞るのが、世の常である。予測だにしなかった事態が、次から次へと発生するのも、又然

り。窓から見える庭の草は、一雨ごとにその高さを増していき、一ヶ月の間に、庭は、草原へと変貌しつつ

あった。

だが、久しぶりの制作は楽しかった。決して楽ではなかったが、楽しかったのである。そこは、私だけの国

で、子供や妖精、小人達が棲んでいる。アトリエの机の前に座る事で、スイッチが入り、私はそこへワープす

るのだ。もっとも、住民はまだ少ない。ヘッポコ創造主は手が遅いし、時々コドモがそばにやってきて、少数

点のついた割り算の答え合わせをしてくれなどというアクシデントも起こるからね。(ちなみに、その時の答

えは、ヒジョーに間違えが多く後でコドモに叱られた。)。とにかく、そんな風に一日の殆どを私は自分の国

で過ごした。

ところが、何とか期限にも間に合い、出品を果たした後で、ハタと困った。ものすごい虚脱感に襲われたので

ある。見なれたはずの現実世界には、ドライアイスをたいたようなモヤのようなものが漂っていて、まるで現

実味が感じられず、むしろ少し前まで身を置いていた我が国の方が、身近に感じられた。作品展が終わった

ら、するつもりにしていた庭の草取りも、家の清掃も、全くする気になれなかった。が、その間にも、庭の雑

草は伸びに伸び、部屋のコーナーにはすべからく綿ホコリが降り積もり、勤勉な蜘蛛は、キッチンの窓際で着

実にその領土を広げつつあった。

結局、私が、所謂日常生活に復帰したのは、7月も半ばを過ぎてからであった。その位遠くへ旅をした、だか

らバーンアウトしたのだ。今はそう思う。もう一つの敗因は、全力疾走というハイペースだった事だろう。私

は、ランナーで言えば、長距離走者であり、決して短距離走向きではない。いずれにせよ、無理をしたツケは

しっかり回って来た。庭は、もはや草原を通り過ぎ、無法地帯と化していて、手の施し様が無いように、私に

は感じられた。

だから、最近の私は、一日の半分を我が国で、もう半分を私の家と庭で過ごすようにしている。当然、私の国

の住民達の顕現は遅れるが、そのくらいが、自分にとってもコドモにとっても、ちょうど良いペースのように

思われるからだ。少数点つき割算の答え合わせも出来るし。庭では、ギシギシがこう囁いているに違いない。

「チッ!もう少しアトリエに籠っててくれりゃあ、おいら達、種を沢山飛ばせたのに!」と。「てめえら、首

を洗って待ってろよ〜!明日鎌を研いでやっつけに行くかんね〜!」ああ、やっぱり私の性格って、あまりよ

ろしくないようで。

庭について庭で考えたことの続きへ